東京は、鉄道が入り組んでいて、また、人身事故も少なくないので、止まったり遅れたりすることはしばしばだ。それはやむをえないと考えるか、それを読み込んで、早く起きるか、家を出るかは、社会生活の基本だ。
しかし、間違いない傾向は、同じ学生が、いつも遅れ、その理由に、電車の遅れを述べるのだ。もちろん、遅延証明書を持って。
2013年7月10日水曜日
ゼミ授業をどう活性化するか(9)提案作成
ゼミ活動は分析も必要だが、若者らしい提案があるのがいい。
しかし、提案ってなんですかときいてくることが多い。もちろん、プレゼンや論文の最終に提案を欠くのだから、それまでをまとめ、提案するはずだ。特に、企業研究をしているのだから、その企業の課題を調査分析から、指摘し、その解決案を提起するのが提案だ。
しばしば、前の議論と無関係に、思いつきを書くこともある。それではなんのための調査かということになる。
しかし、提案ってなんですかときいてくることが多い。もちろん、プレゼンや論文の最終に提案を欠くのだから、それまでをまとめ、提案するはずだ。特に、企業研究をしているのだから、その企業の課題を調査分析から、指摘し、その解決案を提起するのが提案だ。
しばしば、前の議論と無関係に、思いつきを書くこともある。それではなんのための調査かということになる。
2013年6月13日木曜日
ゼミ授業をどう活性化するか(8)目標管理
ゼミはたしかにテーーマを決め、学ぶことを、学ぶわけだが、知識を得て、考えるだけでは、ゼミとしては不十分だと、感じていた。能力向上は図れるが、しかし、それはなぜか結果としてであって、自分で意識して高めるという動機づけが不十分であると感じていた。
その時に、インテレクト社のeポートフォリオを試用させていただた際に、そこに、学生が自分の将来の目標、大學での目標を記入するフォームが用意されていた。
実は、そんなもの学生はあえて書かないだろうとたかをくくっていた。、しかし、実施してみて、学生は、正直にたくさん書き込むのである。
そこに振り返りシートという提案が学部から提起された。この様式を試してみよう。特に、ここでの
社会人基礎力は理論的な基礎となる。やってみなはれである。
以下は学生が書いた事例である。
1.自立力(現状を分析し目的や課題を明らかにする力、課題の解決に向けたプロセスを明らかにし準備する力、新しい価値を生み出す力、社会とのルールや人との約束を守る力、ストレスの発生源に対応する力など)
24年度後期目標:
今起こっていることを判断し、その次に必要なことを瞬時に判断し行動に移す、判断力、行動力が必要。集中して勉強に取り組めるように90分間保てる集中力を身に着ける。
(教員の書き込み)
そう、「自」立するには、判断力なんだよね、いいとこに目をつけた。。
2.対話力(自分の意見をわかりやすく伝える力、相手の意見を丁寧に聴く力、意見の違いや立場の違いを理解する力、自分と周囲の人々や物事との関係性を理解する力)
教員の書き込み
24年度後期目標::
自分の意見と相手の意見の違いをふまえて意見をまとめられるように、話を丁寧に聞く力をつけて、意見をよりよいものにする。
丁寧に聞く、って、話すより大事だよね。
3.実践力(物事に進んで取り組む力、他人に働きかけ巻き込む力、目標を設定し確実に行動する力)
24年度後期目標::
物事に進んで取組み他人をひっぱっていく力をつけられるようにする。
どうしたら、他の人が、自分のために、動いてくれるか、考えよう。
その時に、インテレクト社のeポートフォリオを試用させていただた際に、そこに、学生が自分の将来の目標、大學での目標を記入するフォームが用意されていた。
実は、そんなもの学生はあえて書かないだろうとたかをくくっていた。、しかし、実施してみて、学生は、正直にたくさん書き込むのである。
そこに振り返りシートという提案が学部から提起された。この様式を試してみよう。特に、ここでの
社会人基礎力は理論的な基礎となる。やってみなはれである。
以下は学生が書いた事例である。
1.自立力(現状を分析し目的や課題を明らかにする力、課題の解決に向けたプロセスを明らかにし準備する力、新しい価値を生み出す力、社会とのルールや人との約束を守る力、ストレスの発生源に対応する力など)
24年度後期目標:
今起こっていることを判断し、その次に必要なことを瞬時に判断し行動に移す、判断力、行動力が必要。集中して勉強に取り組めるように90分間保てる集中力を身に着ける。
(教員の書き込み)
そう、「自」立するには、判断力なんだよね、いいとこに目をつけた。。
2.対話力(自分の意見をわかりやすく伝える力、相手の意見を丁寧に聴く力、意見の違いや立場の違いを理解する力、自分と周囲の人々や物事との関係性を理解する力)
教員の書き込み
24年度後期目標::
自分の意見と相手の意見の違いをふまえて意見をまとめられるように、話を丁寧に聞く力をつけて、意見をよりよいものにする。
丁寧に聞く、って、話すより大事だよね。
3.実践力(物事に進んで取り組む力、他人に働きかけ巻き込む力、目標を設定し確実に行動する力)
24年度後期目標::
物事に進んで取組み他人をひっぱっていく力をつけられるようにする。
どうしたら、他の人が、自分のために、動いてくれるか、考えよう。
2013年4月10日水曜日
大規模講義の活性化(10)電子書籍化
大規模授業は、いわば、東京ドームでコンサートをするようなものだ。そこにはシナリオ、演出家、大道具、小道具が不可欠だ。それは、ただ、歌うだけでなく、わくわくする演出、仕掛けがなければ時間がもたない、ブーイングが飛ぶからだ。
今年は電子書籍にチャレンジしてみた。思い立ったのは、知人の教員から、作ってみたよ、というメールを2月中旬にもらったからだ。実は、悩んでいた。教科書の増刷を、出版社から断られたからだ。そして、他の出版社に依頼して快諾はもらっていたところに、私の定年後の再雇用が、なんと前代未聞で、教授会の決定で却下されたのだ。これはこれで大問題で、ひどい話については、別の場で紹介するが。
快諾してくれた出版社に迷惑をかけそうなので困っていたところ、この話を知り、やってみようと即断した。もちろん、4月から本版だ。作成方法など、何も知らない所から1カ月で作成する計画だ。
作成に関わる、どたばたは、別の機会に紹介するが、経験された方のサポートを得て、無事、3月26日にはamazonに登録し、間に合った。
これを200人近い学生にいかに活用してもらうかが、重要だ。多くのおとなたちはスマホで教科書が読めるかというが、学生たちからそれに関するブーイングは今のところ聞かれない。
従来からいえば、完璧を期すということかもしれないが、そんなことはない。走りながら考えよう。どこで問題がおこるか、重要な問題発見のため。
昨日、最初の授業で、告知した。しかし、最初から大丈夫、という雰囲気だった。
ipad、iphone、android対応だ。もちろん、持っていない、ガラ携だという学生もいた。しかし、ブーイングはない。
問題は、支払い方法なのだ。1時間の授業の教科書代が100円、金額の問題ではなくクレジットカードをもっていない学生はどうやって購入するか。
まず期間限定の無料キャンペーンを1日だけ活用することにした。これで、まずは、入手できる。設定したのに、いつまでたっても無料にならない。アマゾンに何回も、メールし電話しどなった。
昨日の午後に無料になった。文句が効いたのかと思った。
違うのだ。今日のアマゾンからの返信に笑っちゃった。キャンペーン期間が米国時間だって。だから、日本時間の0時からではなく、日本時間の16時からスタートだって。
とにかく、今、レポートを見ると180冊配布された。とりあえず、めでたしめでたし。
しかし、感動したのは、学生の友達ネットワークのすごさです。
事理就学生数は約200人、「今日中だよ、友達に回覧してね」とメールしたのが、20人くらい。それが一日もしないで、180人がアマゾンサイトから入手するのですから、それはすごいです。
学生の情報が伝わらない、電子掲示板を見ないなどというぐちはあきらかにウソですね。伝える努力、学生の友達ネットワークの活用、尊敬の念を持っていないということです。
学生の力を馬鹿にしてはいけないのです。
http://amzn.to/10SCKDY
今年は電子書籍にチャレンジしてみた。思い立ったのは、知人の教員から、作ってみたよ、というメールを2月中旬にもらったからだ。実は、悩んでいた。教科書の増刷を、出版社から断られたからだ。そして、他の出版社に依頼して快諾はもらっていたところに、私の定年後の再雇用が、なんと前代未聞で、教授会の決定で却下されたのだ。これはこれで大問題で、ひどい話については、別の場で紹介するが。
快諾してくれた出版社に迷惑をかけそうなので困っていたところ、この話を知り、やってみようと即断した。もちろん、4月から本版だ。作成方法など、何も知らない所から1カ月で作成する計画だ。
作成に関わる、どたばたは、別の機会に紹介するが、経験された方のサポートを得て、無事、3月26日にはamazonに登録し、間に合った。
これを200人近い学生にいかに活用してもらうかが、重要だ。多くのおとなたちはスマホで教科書が読めるかというが、学生たちからそれに関するブーイングは今のところ聞かれない。
従来からいえば、完璧を期すということかもしれないが、そんなことはない。走りながら考えよう。どこで問題がおこるか、重要な問題発見のため。
昨日、最初の授業で、告知した。しかし、最初から大丈夫、という雰囲気だった。
ipad、iphone、android対応だ。もちろん、持っていない、ガラ携だという学生もいた。しかし、ブーイングはない。
問題は、支払い方法なのだ。1時間の授業の教科書代が100円、金額の問題ではなくクレジットカードをもっていない学生はどうやって購入するか。
まず期間限定の無料キャンペーンを1日だけ活用することにした。これで、まずは、入手できる。設定したのに、いつまでたっても無料にならない。アマゾンに何回も、メールし電話しどなった。
昨日の午後に無料になった。文句が効いたのかと思った。
違うのだ。今日のアマゾンからの返信に笑っちゃった。キャンペーン期間が米国時間だって。だから、日本時間の0時からではなく、日本時間の16時からスタートだって。
とにかく、今、レポートを見ると180冊配布された。とりあえず、めでたしめでたし。
しかし、感動したのは、学生の友達ネットワークのすごさです。
事理就学生数は約200人、「今日中だよ、友達に回覧してね」とメールしたのが、20人くらい。それが一日もしないで、180人がアマゾンサイトから入手するのですから、それはすごいです。
学生の情報が伝わらない、電子掲示板を見ないなどというぐちはあきらかにウソですね。伝える努力、学生の友達ネットワークの活用、尊敬の念を持っていないということです。
学生の力を馬鹿にしてはいけないのです。
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2013年3月23日土曜日
2013年3月19日火曜日
ゼミ授業をどう活性化するか(9)朝礼の活用
1年生のゼミ授業は午前中に割り当てられることがほとんどである。そのため、朝は当然、おはようという。それだけでは物足りない。なにか、ないかと考えあぐねていたら、毎日新聞の関係会社で、時事テストを実施している毎日教育総合研究所が、受験促進としてゼミを活用したいとの提案があった。授業の場にも来てもらいPRをしてもらった。こういうのを、営業行為を授業でさせるのかとめクジラを立てる教員もいるかも知れないが、しかし、ゼミは社会への入り口と割り切っているので社会人が仕事をする姿を見てもらういことはむしろ歓迎だ。マーケッティング活動そのものをみれるのである。
もちろん、受験を教員が強制することはなく、いい機会だとそっという。しかし、そこで提供された参考書は、優れものだ。最近のトピックを写真を交えて解説している。これを朝礼の3分間スピーチとして、自分が選んだトッピクを解説し、意見を述べることを朝礼の課題とした。2人/回である。
ここでプレゼンのお作法を伝える。
(1)まず、自己紹介と話すテーマをしゃべる
(2)そして頭を下げる
(3)内容を話す
(4)自分でまとめ、「報告を終わります」という
(5)頭を下げる
(6)質問はありませんか、という
(7)誰も手を上げないときは、軽く目を配って、誰かに質問を促す、だいたい、誰かが受けてくれる。
(8)質問を聞いたら、まず「ありがとうございます」、という。できれば、「よい質問です」とまで言えば、最高だ。
(9)質問内容を繰り返し、質問内容に間違いないことを確認する。
(10)回答する
(11)質問者に納得してもらえたか、確認をする
(12)最後に、「質問が内容ですのでこれで終わります」といい、頭をさげる。
これで終了、この流れを、身体で感じてもらうことが、この授業の目的だ。
しかし、なかなか3分間は持たない。反すのが苦手だという学生が結構いる。
それを、性格だと言った途端、努力をしなくなる、能力だも、ちょっと危ない、技能だといっている。だから努力すればだれでもできるようになる、と思わせることが大事だ。場kずだ意識だと言って、君なら出来るを言い続ける。決してケチをつけない。
もちろん、受験を教員が強制することはなく、いい機会だとそっという。しかし、そこで提供された参考書は、優れものだ。最近のトピックを写真を交えて解説している。これを朝礼の3分間スピーチとして、自分が選んだトッピクを解説し、意見を述べることを朝礼の課題とした。2人/回である。
ここでプレゼンのお作法を伝える。
(1)まず、自己紹介と話すテーマをしゃべる
(2)そして頭を下げる
(3)内容を話す
(4)自分でまとめ、「報告を終わります」という
(5)頭を下げる
(6)質問はありませんか、という
(7)誰も手を上げないときは、軽く目を配って、誰かに質問を促す、だいたい、誰かが受けてくれる。
(8)質問を聞いたら、まず「ありがとうございます」、という。できれば、「よい質問です」とまで言えば、最高だ。
(9)質問内容を繰り返し、質問内容に間違いないことを確認する。
(10)回答する
(11)質問者に納得してもらえたか、確認をする
(12)最後に、「質問が内容ですのでこれで終わります」といい、頭をさげる。
これで終了、この流れを、身体で感じてもらうことが、この授業の目的だ。
しかし、なかなか3分間は持たない。反すのが苦手だという学生が結構いる。
それを、性格だと言った途端、努力をしなくなる、能力だも、ちょっと危ない、技能だといっている。だから努力すればだれでもできるようになる、と思わせることが大事だ。場kずだ意識だと言って、君なら出来るを言い続ける。決してケチをつけない。
2013年1月14日月曜日
ゼミ授業をどう活性化するか(7)チームつくり
ゼミ活動は、チームワークを学ぶことが、もっとも重要な教育の場である。ここにはチームつくりとチーム運営の2つがある。
どんな仲間とチームを作るのがいいか、それは多くの教員が悩んでいるテーマである。私も、いろぴろと試みてきた。学生番号順に分け、偶然のチームにする、もちろん、あみだくじという方法もある。じゃんけんもやったことがある。学生に任せると、これを選ぶことが多い。
最近は、チームを編成する前に、希望テーマを考え、掲示板に書いてもらい、それをもとに、似たようなテーマを挙げた学生たちの組み合わせで、チーム分け、をしている。
いつもながら、チームつくりに、私は関与しないことにしている。チーム分けの担当者を2人くらい指名し、任せる。絶対に、決めたことに文句はいわない。任せたのだから。これは結構、忍耐がいるし、教員によっては、それは教員に責任を放棄しているというかもしれない。しかし、大事にしたいのは学生と教員の信頼関係を守ることなのだ。任せると言ったら絶対に任せる、ケチをつけたとたん、次から教員の顔をみて、ものを決めようとし、自分たちの考えを制限してくる。大事なのは、自分で考え意見と主張をつくり、それに責任を持つことである。自分たちで決めたことなのだから、責任もって運営がうまくいくように、協力する、という基本を体得することがなにより重要と思っている。
どんな仲間とチームを作るのがいいか、それは多くの教員が悩んでいるテーマである。私も、いろぴろと試みてきた。学生番号順に分け、偶然のチームにする、もちろん、あみだくじという方法もある。じゃんけんもやったことがある。学生に任せると、これを選ぶことが多い。
最近は、チームを編成する前に、希望テーマを考え、掲示板に書いてもらい、それをもとに、似たようなテーマを挙げた学生たちの組み合わせで、チーム分け、をしている。
いつもながら、チームつくりに、私は関与しないことにしている。チーム分けの担当者を2人くらい指名し、任せる。絶対に、決めたことに文句はいわない。任せたのだから。これは結構、忍耐がいるし、教員によっては、それは教員に責任を放棄しているというかもしれない。しかし、大事にしたいのは学生と教員の信頼関係を守ることなのだ。任せると言ったら絶対に任せる、ケチをつけたとたん、次から教員の顔をみて、ものを決めようとし、自分たちの考えを制限してくる。大事なのは、自分で考え意見と主張をつくり、それに責任を持つことである。自分たちで決めたことなのだから、責任もって運営がうまくいくように、協力する、という基本を体得することがなにより重要と思っている。
ゼミ授業をどう活性化するか(6)教員に期待される役割
教員は、学生を教える立場、役割だとすれば、専門知識を豊富に持っていて、多くの知識を伝えることができて、どんな質問にでも答えられる、そんなイメージがあるかもしれない。
しかし、少なくてもゼミではそんな役割を担うのが教員でないことは確かである。知識は学生が自分から獲得することがゼミだからである。
そういう意味では、教員はコーチ、応援団に近い。よく、私は外部にも言っているが、あほな教員ほど、学生はよく育つと。実際に、ゼミ大会の準備など、細かく指示することはないし、知識を教えることもほとんどない。さくさくと学生が進めるし、計画もリーダーが立案し、私に相談する時もあるし、しないときもある。こちらが聞くのは、リハーサルはいつにするの、2回くらいはしようという程度だ。もちろん、それは優秀な学生さんがそろっているからと、皮肉を言われることさえある。
しかし、忘れないことがいくつかある。まず学生を、仲間、パートナーだと思い決して上から目線では見ないことである。だからこそ、心から学生に尊敬の念をもって接している。社会人でさえ、チームをまとめるのは難しい仕事だ。それを、学生がうまくまとめるのを見て、本当に感銘することが何度もあった。
ある時は、締切日を示したら、リーダーが、みんな、やるっきゃなだろうと、サクサク、予定をつくり、みんなの集まる日を決めていた。授業以外に集まるなんて、私が指示・命令したことは今までない。目標を提示して、あとは学生が自分たちで考えている。
そんなリーダー、メンバーが動きやすいように配慮することはあっても、絶対に、気持ちを落とすこと、発言、学生の気持ちを損なうことをしないこと、やる気の邪魔をしないことが教員の最低限のマナーだと思っているからである。
しかし、少なくてもゼミではそんな役割を担うのが教員でないことは確かである。知識は学生が自分から獲得することがゼミだからである。
そういう意味では、教員はコーチ、応援団に近い。よく、私は外部にも言っているが、あほな教員ほど、学生はよく育つと。実際に、ゼミ大会の準備など、細かく指示することはないし、知識を教えることもほとんどない。さくさくと学生が進めるし、計画もリーダーが立案し、私に相談する時もあるし、しないときもある。こちらが聞くのは、リハーサルはいつにするの、2回くらいはしようという程度だ。もちろん、それは優秀な学生さんがそろっているからと、皮肉を言われることさえある。
しかし、忘れないことがいくつかある。まず学生を、仲間、パートナーだと思い決して上から目線では見ないことである。だからこそ、心から学生に尊敬の念をもって接している。社会人でさえ、チームをまとめるのは難しい仕事だ。それを、学生がうまくまとめるのを見て、本当に感銘することが何度もあった。
ある時は、締切日を示したら、リーダーが、みんな、やるっきゃなだろうと、サクサク、予定をつくり、みんなの集まる日を決めていた。授業以外に集まるなんて、私が指示・命令したことは今までない。目標を提示して、あとは学生が自分たちで考えている。
そんなリーダー、メンバーが動きやすいように配慮することはあっても、絶対に、気持ちを落とすこと、発言、学生の気持ちを損なうことをしないこと、やる気の邪魔をしないことが教員の最低限のマナーだと思っているからである。
ゼミ授業をどう活性化するか(8)目標管理
ゼミを、通常の研究活動の推進というだけでは、どうも、成長への実感を共有できないという悩みをかねてから持っていた。ゼミには専門知識の獲得という目的は確かにあるが、それだけではない。成長すること、とりわけそれを本人が実感することが大事と思っている。
振り返りシートで、たとえば、学生がこう言ってくれる。
極端なことを言えば、成長実感とは、私たち教員が、成長したことを客観的に評価するよりも、本人が、成長したと実感することの方が、何倍も価値がある。それは、成績を、S,A,Bとつけることには代えがたい意義がある。ゼミを、過去の評価をするというよりも、次の行動に結び付ける動機づけにしたいと思うからである。とりわけ、ほとんどの学生は、社会にでて、自分で自分の道を切り開かねばならない。私たち教員がどう評価するという以上に、本人が、自分を評価する目や意識を持てば、授業の評価などは小さい小さい。そのための目標管理なのであり、それを「振り返りシート」が担ってくれている。
振り返りシートで、たとえば、学生がこう言ってくれる。
「目標がなかった前期は授業をやらされている感じでしたが、目標ができた後期は、その目標を達成するために一つ一つの授業を進んで取り組めました。」
これは振り返りシートを取り入れた意義を素直に認めてくれていることの証拠であると思っている。目標が大事ということを実感することは、なにより大きな成長実感であろう。
2013年1月8日火曜日
ゼミ授業をどう活性化するか(7)調査
ゼミの活動のかなりの部分は調査である。ひらたくいえば、調べ学習である。しかし、ゼミで大事なのは、そして学ぶというのは、調査してどうするのか。というそのあと作業にかかわってくる。
ここが意外にあいまいなことが多い。
調査というちすぐに学生はインターネットにアクセスしようとする。しかし、それは間接情報であることを、しっかりと知ってもらいたい。つまり、だれかが調べた情報なのだ。そこには、その誰かが分析したり、解釈した意見が入り込んでいる。しかし、それはなかなか理解できない。そのくらい、今の時代、情報があふれているのである。それをつなぎ合わせれば、何か、調べたことになるように誤解しやすい。ネットに多くの人が書いているからといって事実とは限らない。誰かが書いたものを他の人が見て、それを写したり、意見を添えて書いているだけかもしれないからだ。
足で調べる楽しさと、苦しさを、この過程で体得できる。
たとえば、ゼミのテーマでコンビニを取り上げることは定番である。そこでどんなIT化を実施しているか、調べてこいという。そのとき、自分で商品を買って、どんなレシートがもらえるかじっと観察間することを体験してもらう。また、店員や店長さんに聞いてきてもらう。この店ではどんなIT化をしているのかと。店員もきっときょとんとしているに違いない。ゼミの調査研究だからといって、聞いて来いという。ほんとうに聞いてくる。その「はらはらどきどき」感は重要な経験である。
調査したこと報告しなければならない。それは最終的には論文の一部になるはずである。
調査報告をきちんと文章化出来ることは大きな能力である。だから、書けるようになることは、重要なスキルアップにつながるからゼミでも重視している。
自分の意見を主張するというのは、感想を述べることとは大きく違う。まず、そこからスタートだ。
ここが意外にあいまいなことが多い。
調査というちすぐに学生はインターネットにアクセスしようとする。しかし、それは間接情報であることを、しっかりと知ってもらいたい。つまり、だれかが調べた情報なのだ。そこには、その誰かが分析したり、解釈した意見が入り込んでいる。しかし、それはなかなか理解できない。そのくらい、今の時代、情報があふれているのである。それをつなぎ合わせれば、何か、調べたことになるように誤解しやすい。ネットに多くの人が書いているからといって事実とは限らない。誰かが書いたものを他の人が見て、それを写したり、意見を添えて書いているだけかもしれないからだ。
足で調べる楽しさと、苦しさを、この過程で体得できる。
たとえば、ゼミのテーマでコンビニを取り上げることは定番である。そこでどんなIT化を実施しているか、調べてこいという。そのとき、自分で商品を買って、どんなレシートがもらえるかじっと観察間することを体験してもらう。また、店員や店長さんに聞いてきてもらう。この店ではどんなIT化をしているのかと。店員もきっときょとんとしているに違いない。ゼミの調査研究だからといって、聞いて来いという。ほんとうに聞いてくる。その「はらはらどきどき」感は重要な経験である。
調査したこと報告しなければならない。それは最終的には論文の一部になるはずである。
調査報告をきちんと文章化出来ることは大きな能力である。だから、書けるようになることは、重要なスキルアップにつながるからゼミでも重視している。
自分の意見を主張するというのは、感想を述べることとは大きく違う。まず、そこからスタートだ。
2013年1月7日月曜日
ゼミ授業をどう活性化するか(5)論文作成-2
みんなに、文章を書くことは、得意か、好きかと問うと、必ず苦手だと答える。この時、自分も、苦手だったし、嫌いだったと率直に言うことにしている。現に、高校生くらいまで、嫌いだったし、もちろん、書けなかったし、成績も悪かった。
それがなんとか書けるよう、また、文章を書くことが商売道具になったのは、たとえば、太宰の人間失格などの小説を読むようになったからだと思う。つまり、ええ恰好しいするのではなく、思ったことを、そのまま書いていいのだと気づいたからである。
問題は感想文から、論文へのジャンプをどう身に着けるかである。それを、「私(だけ)が思うから、みんなそう思う(はず)」だ、という文章の書き方をしないよう意識することである。
それは、学生には、感覚で文章を書くことから、技術で文章を書くことの違いだと説明している。技術で書くということは、文章を書けないのは、素質がないからでもなく、まして能力がないからでもなく、書き方を知らないだけだから、訓練すれば、だれでも、少なくとも、多くの学生が書けるようになるはずだといって、まずは安心してもらう。そして、、努力すれば身につくのだと、気づいてもらおう。
文章には、柔らかい文章と、硬い文章がある。どっちがいいというのではなく、どっちも書けるのがいいに決まっている。文章の書き方は一様ではない。飛んでいる文章、ゆったりとした文章、沈んでいる文章、走っている文章、アップダウンの多い文章、そして心が前にで文章、心が後ろに潜んでいる文章もの、などなど、多様であってよい。大事なのは、学生が、いろんな書きかたを身に着け、どれにするかを選べるようになってほしいのだ。
論文、それはもちろん、硬く書くのだ。
それがなんとか書けるよう、また、文章を書くことが商売道具になったのは、たとえば、太宰の人間失格などの小説を読むようになったからだと思う。つまり、ええ恰好しいするのではなく、思ったことを、そのまま書いていいのだと気づいたからである。
問題は感想文から、論文へのジャンプをどう身に着けるかである。それを、「私(だけ)が思うから、みんなそう思う(はず)」だ、という文章の書き方をしないよう意識することである。
それは、学生には、感覚で文章を書くことから、技術で文章を書くことの違いだと説明している。技術で書くということは、文章を書けないのは、素質がないからでもなく、まして能力がないからでもなく、書き方を知らないだけだから、訓練すれば、だれでも、少なくとも、多くの学生が書けるようになるはずだといって、まずは安心してもらう。そして、、努力すれば身につくのだと、気づいてもらおう。
文章には、柔らかい文章と、硬い文章がある。どっちがいいというのではなく、どっちも書けるのがいいに決まっている。文章の書き方は一様ではない。飛んでいる文章、ゆったりとした文章、沈んでいる文章、走っている文章、アップダウンの多い文章、そして心が前にで文章、心が後ろに潜んでいる文章もの、などなど、多様であってよい。大事なのは、学生が、いろんな書きかたを身に着け、どれにするかを選べるようになってほしいのだ。
論文、それはもちろん、硬く書くのだ。
ゼミ授業をどう活性化するか(6)教員は何をするのか
学生が主体のゼミだったら、では、教員はなにをすればいいのか。ひま、しているということにしている。絶対にこちらから、聞かれない限り、知識を与えようとしないこと、これはかなり忍耐がいる。いわば教えることが教員の役割だと長い間、過ごしてきているのに、いまさら、教えないで教員が務まるのかと多くの教員が思うに違いない。厳密に言えば、喋りはするけど、上から目線で、知識を伝えることをやめるのであって、ただ、黙って学生の好きなようにさせるるわけではない。
驚異の一番大事な仕事は、ファシリテーターという役割で、学生が主体的、つまり自分から動き出せるよう、そして、このゼミ授業で成長できるよう、縁の下のちからもちに徹することである。
求められていない知識を提供しても、ありがたがらないし、すぐ忘れる。しかし、自分で欲した知識は、身体にしみこむ。そうしたいのだ。
そのために、教員がなによりしなければならない仕事は、学生をよく観察することにつきる。ゼミになじんでいるか、楽しんでいるか、自分を動かそうとしているか。逆にいえば、孤立していないか、パソコンに向かっているだけで、仲間と話すのをさけていないか、リーダーを無視していないか、リーダーが、独走していないか、などなどを注意して観察することである。
学生は様々である。いろいろな学生がいる。活発な子、おとなしい子、熱意があるのにうまく自分を前に出せない子、芯の強い子、女の子に多い強気だけれどさびしがり屋、それぞれに対応を変えたい。こちらから声をかけたほうがいい子、向こうから声をかけさせるように仕向けたほうがいい子などなど。
ファシリテーターという難しい名前より、「学びのカウンセラー」というほうがピッたしだ。これが、これからの教員の役割を一言で表している。
驚異の一番大事な仕事は、ファシリテーターという役割で、学生が主体的、つまり自分から動き出せるよう、そして、このゼミ授業で成長できるよう、縁の下のちからもちに徹することである。
求められていない知識を提供しても、ありがたがらないし、すぐ忘れる。しかし、自分で欲した知識は、身体にしみこむ。そうしたいのだ。
そのために、教員がなによりしなければならない仕事は、学生をよく観察することにつきる。ゼミになじんでいるか、楽しんでいるか、自分を動かそうとしているか。逆にいえば、孤立していないか、パソコンに向かっているだけで、仲間と話すのをさけていないか、リーダーを無視していないか、リーダーが、独走していないか、などなどを注意して観察することである。
学生は様々である。いろいろな学生がいる。活発な子、おとなしい子、熱意があるのにうまく自分を前に出せない子、芯の強い子、女の子に多い強気だけれどさびしがり屋、それぞれに対応を変えたい。こちらから声をかけたほうがいい子、向こうから声をかけさせるように仕向けたほうがいい子などなど。
ファシリテーターという難しい名前より、「学びのカウンセラー」というほうがピッたしだ。これが、これからの教員の役割を一言で表している。
2013年1月6日日曜日
ゼミ授業をどう活性化するかーゼミ授業の基本、ゼミで何を学ぶのか
ゼミでなのを学ぶのか、専門知識という人もいるかもしれない。そのために、数学統計の基礎知識が不足していると多くの教員が嘆く。それがないのは高校教育が悪い、ゆとり教育が悪いという。また、従来では、大学に来なかったような学生が進学するからいけないともいう。しかし、先進国が生産性を高めるためには、高度知識社会に行くる事ができる社会人を増やすしかないというのは、かなりの共通認識である。つまり、これからは大学進学率は高くなるべきだというのも社会のニーズである。であれば、多様な能力、知識レベルの学生が集まるのであって、昔のように「偏差値」に従って、大学に同質、同レベルの学生があつまることを想定するのは、一部の大学のノスタルジーでしかないかもしれない。
ゼミで学ぶこと、それは、何を学ぶのにも共通した学び方を学ぶのだといっている。そしてそのためには、まず、なぜ学ぶのかを自分で納得することが大事だと思っている。
知識を学ぶには、抗議で十分かもしれない。実習形式の実践的授業も整備されている。多くの科目が準備され、それこそカフェテリアにいって、自分で選べるようにカリキュラムは用意されている。確かに、これで十分かもしれない。しかし、どうして、勉強に意欲が向かないのか、学んだ知識が身につかないのか、それは、なぜん勉強するのかという意欲、いや納得感がないからである。単位のためだったら試験が終われば忘れても構わない。卒業したら、大學で勉強したことは役に立たないとうそぶいても構わない。
しかし、多くの卒業生は、在学中にもっと勉強しておくんだったと、口をそろえていう。何が間違っているんだろうか。大學で学ぶことは実はたくさんあり、そこでの知識は無駄ではないし、現実には実務にいれば、有用であることがわかってきたのであろう。だったら、それを知ってもらう方がいい。それは講義ではなく、ゼミの役割である。つまり、なぜ学ぶのかと、どう学ぶのかを学ぶ授業だからである。
その中心は、ディスカッションであることは間違いない。それは、教員から聞いたことを疑うことなく吸収するという態度から、ゼミ仲間が調べてきたことを疑い、もっと正しいことがあるのではないかと、考える癖をつけることを求められるからである。
ゼミで学ぶこと、それは、何を学ぶのにも共通した学び方を学ぶのだといっている。そしてそのためには、まず、なぜ学ぶのかを自分で納得することが大事だと思っている。
知識を学ぶには、抗議で十分かもしれない。実習形式の実践的授業も整備されている。多くの科目が準備され、それこそカフェテリアにいって、自分で選べるようにカリキュラムは用意されている。確かに、これで十分かもしれない。しかし、どうして、勉強に意欲が向かないのか、学んだ知識が身につかないのか、それは、なぜん勉強するのかという意欲、いや納得感がないからである。単位のためだったら試験が終われば忘れても構わない。卒業したら、大學で勉強したことは役に立たないとうそぶいても構わない。
しかし、多くの卒業生は、在学中にもっと勉強しておくんだったと、口をそろえていう。何が間違っているんだろうか。大學で学ぶことは実はたくさんあり、そこでの知識は無駄ではないし、現実には実務にいれば、有用であることがわかってきたのであろう。だったら、それを知ってもらう方がいい。それは講義ではなく、ゼミの役割である。つまり、なぜ学ぶのかと、どう学ぶのかを学ぶ授業だからである。
その中心は、ディスカッションであることは間違いない。それは、教員から聞いたことを疑うことなく吸収するという態度から、ゼミ仲間が調べてきたことを疑い、もっと正しいことがあるのではないかと、考える癖をつけることを求められるからである。
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