2012年11月3日土曜日

マンモス授業は必要悪か(2)

小規模の教室での授業が望ましく、大規模教室は教育の環境には向いていないという人がいる。しかし、それは正しいのだろうか。異なる授業には、異なる教育方法を取り入れるべきなのだ。小規模での授業は、教員がたいして努力せず、話をしていれば学生が静かに聞いているので、勉強が進んでいると教員のほうが思っているだけかもしれない。
ギターの弾き語りを小さなクラブで演奏している時は、PAもそんなに意識せず、聴衆も目の前にいるから、演奏しやすいし、聴衆の反応を見て、適宜、柔軟に内容を変更できる。
しかし、それをそのまま、東京ドームで演奏したら悲劇だ。顔は見えないし、声は聞こえない、聴衆はあくびをしてしまう。そこには、大道具、小道具、バックバンド、大画面スクリーン、そしてディレクターやミキサーなどのスタッフ、さらに照明、そしてシナリオが必要になる。
おんなじことだ。大規模教室での授業を小規模教室と同じように行ったら、学生もあくびだし、すぐにスマホの画面に目をやる。少なくても、マイク、大道具、なにより授業のシナリオが必要だ。教員も、話し方自体を変えなければいけない。その訓練を受けていないから、上手にできず、苦手になるだけのことである。
FD、インストラクションデザイン、メディア、ITを駆使した授業をするのは当たり前である。それをせず、苦手だというのではなく、いろいろな道具が開発されているのだから、使うべきなのだ。使わないのは、むしろ、怠慢とさえ思える。好き嫌いを言ってる場合ではない。会社でパソコンを使えなければ仕事がなくなるように、eラーニングも使えなければ教員を廃業するくらいの真剣味が必要だ。小規模でしか授業ができないというのは、教員の身勝手にさえ思える。



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