2012年11月12日月曜日

大学を、市場開放すべきか、真紀子発言をめぐって

 三大学の申請を不認可した後、一転、認可するなど、迷走はばかばかしい限りだが、このなかで、真紀子批判として、大学が多すぎるから、認可基準を厳しくするというのは間違いで、自由化し、市場に任せれば、結果として淘汰されるから、規制を強化するのは反対だという意見が少なくない。数多くあっても、学生が選ぶことで、質の悪い大学、経営力が低下している大学は学生から選ばれないから、市場に任せるべきという主張だ。
 この通りなら、規制は不要とさえ思える。しかし、本当にそうなのか、市場、学生は正しく判断できるのだろうか、大きな疑問があるのも間違いない。
 第1に、高校生は、大学の情報を正しく把握できるわけではないということである。授業の中身は、受講してみなければわからないし、世評も、外形的な評価であって、授業の中身がどうかを評価できない。受講しているわけではないからである。偏差値は大学の質を表すのではなく、入学した学生の質を表すだけである。さらに、推薦入学を対象外にした一般入学の学生の成績である。
 第2に、東京一極集中の弊害で、異常に東京に学生が集まり、地方には優れた教育をしていても学生が集まらないのが現状である。多くの学生が集まる東京の大学と、あまり集まらない地方の大学で、教育の質の大きな相違があるとは思えない。地方の大学のほうが経営は大変だが、学生をしっかり丁寧に教育している大学は少なくない。いわば、経営の優れた大学に学生が集まるのではなく、学生が集まった大学が経営的にも改善するのである。
 このように、市場に任せれば、大学間の格差、都会と地方の大学の格差は、拡大する一方である。努力の結果、格差が生じるのではなく、また質の相違の結果、格差が生じるのではない。したがって、そこには、なんらかの規制、政策誘導を行わなければ、学生が集まることにあぐらをかいて改革に不熱心な大学が残り、必死になって改革を進めている大学が閉鎖されかねない。その結果、大学の教育改革は進まず、国内の経済的な格差を大学教育が助長することになる。

(執筆中)

5 件のコメント:

  1. 市場に任せてもいいのですが、今の大学をそのまま放り込んだらいい大学まで淘汰されてしまうというのはその通りでしょうね。学納金に9割頼る私立大学、運営交付金に大きく依存する国立大学、どちらも競争環境の中での運営ではありませんから。
    ただ、米国の大学が大きな曲がり角を迎えた1970年代と日本の大学はだいぶ似てきていて、そうもいっていられない厳しい競争環境の中に置かれることにはなりそうですね。
    米国の大学で印象深いのは、この時期に少人数教育を標榜し、良心的な大学と高い評価を受けていたミッション系の大学が絶滅したことです。
    一方ではディプロマミルのようないい加減な大学が増殖し、確かに市場原理はいただけない結果を生んでいる部分もあります。
    しかし、同時にエリート大学は大きく伸びて研究教育に高い成果を出すようになったという結果もあります。
    日本の大学がどこに向かうかは、今はだれにも予想できないでしょうが。

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  4. おっしゃる通りですね。
    少なくとも、私立大学は、大講義室の授業が、その基本的ビジネスモデルです。少人数を中心とする、工学部、医学部は大赤字です。その赤字を人文系、社会科学系が補っているはずです。いいかえると大規模授業が支えているのです。それを、卑下したり、それが教育かなどというのは論外です。極楽とんぼです。
    大勢の学生をブランドで集め、悩まず、大講義で卒業させることで、都会の名門大学は成り立っています。
    しかし、なにか勘違いして特徴を出そうとしないといけないと思い、少人数を売りにしたゼミや変わった名前の学部学科を作りたがります。それが魅力で集まったとしても一時的です。少人数制のゼミも、多くの教員はゼミ授業をどのように運営するかのスキルをもった教員は少ないため、十分な体制をとりえないのです。教員のゼミ運営能力を組織的に高めなければ、いけないのです。
    しかし、ゼミは、いわば、学生集めのキャッチコピーであっても、本気で、それに没頭すれば、経営を危うくします。私学の利益の源泉は、あくまで、大規模講義にあります。それを、効果的に実施すること、学生の満足度をもっと高めること、それが、経営のコアです。そこにこそ、資源を集中すべきです。そのことが、わかってこそ、eラーニングの価値が理解できると思うのです。

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  5. >地方の大学のほうが経営は大変だが、学生をしっかり丁寧に教育している大学は少なくない。
    仰る通りだと、私自身の実体験から思います。

    筑波大学は、勉強をする上では、当時の私にとっては最上の環境でした。今ではつくばエクスプレスで都内へのアクセスも良くなりましたが、当時は就職活動さえままならない環境でしたが、逆に勉強に集中できたとも思えます。

    高校生までで勉強がつまらないものだと感じてしまい、大学でより高いレベルのものを学ぼうという意欲が無くなれば、教育の質ではなく、何か別のものでの評価による市場の原理が働いてしまうと思います。

    まずは、高校生が大学に行く理由として、高等教育を受けに行きたい、と思ってもらうことが重要ではないかと思ったりもします。

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